エリーゼのひとり言                                                          八王子市の不動産購入、中古・新築、マンション・一戸建て・賃貸・売買・関係なくお任せください

【現代日本人の自由と権利の主張を考察する!

ここ数日来より読売巨人軍の人事について大きく取り沙汰されている。

巨人にもプロ野球にも興味の無い私にはどうでも良いニュースであるが 世間のこの件に関する感想には

大いに興味をそそるものがある。一つには元GMの清武氏に対する同情や激励の多さである。

私たち一般市民は極々限られた情報を頼りにジャッジしていくしかなく、その情報はまさしく一方的に与え

られている僅かな事実に過ぎない。 あたかも巨悪に対峙するアリを応援するかのような人々のコメントは

意図して作り上げられた情報によるものなのではないか?と、考えると 報道に一喜一憂するのは滑稽だ。

しかし、その情報を性善説に基づき事実であると認識したとして下記を綴る。 確かに独裁的な手法による組織

の統率はひと昔前の常套手段だったかも 知れない。しかし、それ自体が全ての元凶であるとは言えないで

あろう。 組織の掲げる目的の達成の是非こそはじめて評価の対象となる。 それを遂行する為のプロセスで

とやかく言い出してはきりが無いし、統制が 取れるわけが無い。ましてや、一定の成果を得ていながら組織の

存続を維持 しているならなおさらの事である。いつの時代も異分子はいるもので時には その異分子が英雄と

化す事もある。しかしそれは稀な事ではないだろうか。

よほど用意周到に根回しをし外堀を固め、戦わずして勝つ!くらいの綿密な計画が必要なのではないだろうか。

もし、そこまでやった上でその計画もろとも潰されたのしたら恐るべしだ。 今回の様に事を起こしたは良いが

気がついたら孤軍奮闘。。。裸の王様を演じて いるようでは全く以てナンセンスな事極まりない。

さらに付け加えれば、事の発端 は組織の形態や運営方法に対する不満であり、それを独裁による暴挙と

言う ならば単身反旗をひるがえし内部の醜態をさらけ出し対外的にに訴えることこそ 暴挙であり単に個人の

エゴであると言えないだろうか?今となっては事の目的は独裁者の追放と共に自身のポジション確保の為で

あった と発表されているが、あの様な立場におかれている人がこんなやり方で本当に 思惑通りいくと思って

いたのだとしたら笑止千万。全く以て不可思議である。 そう言う発想の持主こそ将来に於いて独裁者たる

可能性を孕んでいるのでは ないだろうか。 もう一つには世論のあまりにも情けある評価である。『良くやった!』

とか 『気の毒だ!』など氏を擁護する意見が少なくない。これら支持層の背景を見ると 圧倒的にサラリーマン

をはじめとするお勤め人など言わば組織を構成する側の人々である。当然組織側の人々とは役割が違えば

自ずと考え方や価値観も違う のは当たり前の事だが、少しでも組織の立場に立った事のある人間であれば

今回の騒動は気持ちは理解してもとった行動はみじんも支持できないであろう。

ここで気が付くことは昨今の自由思想に根付く決定的な事は主張は誰でも 出来ると言うところである。

責任を全うしなくても権利の行使は出来ることなのだ。

こう言った価値観がホームレスの様な不労者にも生きる権利があると言って保護 をするようになるのである。

それぞれ言われぬ事情があって身を落としているであろう事は想像するに易い。しかしだからと言って汗を

かいて歯を食いしばって いる人々と同等であるかと言われれば返事はグレーにならざるを得ない。

過度な自己主張や権利の主張は自分の為であり個人主義思想の最たるもので あると思う。するなと言う訳

ではない。それをしたらどうなるのか?と言う事を考えなければならないのだ。結果的に人に迷惑がかかる

事だとしたら踏み止まる 方が良い場合もある。はたまた迷惑を覚悟の上で主張しなければならないと言う

時もあるであろう。もし、その想定に熟慮を重ねた上で行動したのであれば 祈りながらその結果を見守る

しか無い。その時に自身の行動が間違っていたのであればしかるべき対応を責任を以て自らが行うべきで

あろう。 また、自身に主張をする資格があるか?と言う事も大事な観点であると考える。

今や何でもかんでも言いたい事を言えてやりたい事をやれる世の中だ。自国の首相を吊るし上げいち国民が

ボロクソに言ってはばからない。一億総コメンテーター時代である。そんな時代に、これは言ってはいけない

やってはいけない等と言ったらそれこそ『時代錯誤も甚だしい』と、独裁者的な扱いを受けてしまうかもしれない

が、言ったりやったりする前に自分自身でわが身を振り返る 事が大事なのではないか。

若者に限らず現代の日本社会にはこれが欠如している様に見えて仕方ない。 この様な風潮が『何が正しくて

何が悪いか』また『何を言われているのか?どうするべきか?』と言う問題点の核心を追求する能力を著しく

低下させている。 昔の人はこう言った。『働かざるもの食うべからず』 すなわちその先に得たい物が ある

ならばまずはやるべき事をやりなさい。やらなければ得られませんよ。 もしくは得てはいけないと言う戒めの

言葉である。幼少期に何でも与えられ、誤りを正される事無く育てられ、大人の権利と子どもの権利の区別も

付かない世代の 親に育てられ成人した新社会人の多くは組織の中に入っても自分が歯車の一つであると

言う認識がとても低い様に感じられるのもその一つだ。 『俺は俺だ』的な俺流をやれるのはそれまでの実績

があるからであり、誰でもが 出来る事ではない。しかし誰もが出来るのだと、勘違いをして失敗をしてもその

間違えに気がつかない。それは指摘をしない周りも単体意識が強く『俺は俺』の 同類で『あいつはあいつ』

だからである。 そんな価値観の人たちが統計や世論調査のデータを下支えしているのだからその調査結果

も押して知るべしである。ましてや日本シリーズの最中に一連の御家騒動を起こした渦中の氏を野球人の

端くれとしてあるまじき行為、ファンを愚弄している!と叩いているが騒いでいるのはマスコミで、選手やファン

をおざなりにしていると言うならば各紙取り上げ なければ良いのだ。連日こぞって見出しにしているマスコミも

マスコミだ。そして現代社会に代表される現象で多いのは今回の一連のやり取りでも見え隠れする

“それを言っても(やっても)良い立場か?”と言う判断力の欠如である。

少しさかのぼるが元航空幕僚長の田母神氏が自身の発言により更迭、そして 職を終われる結果となった。

この事もその一つであろう。氏の熱い想いは解るし思想そのものは一定の理解をするものである。が、しかし

その要職にある人間が 発言して良い事案かが問われる。『この立場での発言でなければ意味が無い!』

と氏は言うが…玉砕を覚悟でやったのだと言えば聞こえは良いが結果はいささか 寂しい物ではないだろうか。

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