エリーゼ イチ押し物件

3月11日。未曾有の大地震に見舞われた関東・東北地方。

幸いにして弊社社屋の改修工事を手伝っていた私は地震には気が付いたものの、あのような大惨事になっていた事を

夜、帰宅してテレビを見るまで全く知りませんでした。前述の通り地震発生時も極端に大きな揺れは感じなかったのです。

あまりに長い揺れに居合わせた職人さんと外に出て様子を見た程度でした。何と1人は足場の上でしたが、『誰かふざけて

揺らしているのかと思いましたョ』ですって   知らないとは恐ろしいものです。西寺方町って地盤が硬いのかしら?

直後の混乱時に現地入りを見送り、満を持して発生から1ヶ月を前に現地入りしました。行き先は宮城県石巻市。

八王子市内の仲間と都内にいる多くの仲間たちと物資を届け、現地で炊き出しを行うのが目的です。 

三鷹の青果市場で各地から集めた支援物資を積み込み現地へ向かう予定でした。が、まさに積み込み作業中

またもや特大の余震が発生。我々も作業を一時中断して建物の外へ・・・ 「結構大きかったなぁ」仲間達がざわつく。

震度は? 現地はどうなんだ? 津波は? 各自一斉に携帯電話を手に取り情報収集に画面に食い入る。

震度は6強。既に津波発生のニュースが飛び交う。更に、東北自動車道の通行止めが報じられる。絶望感が漂う…

「行けるのか?」いや「行くのか?」そんな声が誰とも無く出る。参加者を緊急招集し全員の意思を確認。

みんなの意見徴収の末「行ける所まで行こう!」一人として辞退する者無く作業再会。参加者は40名弱。

トラック6台・保冷車1台・乗用車2台・マイクロバスを1台チャーターした。バス以外は各自が持ち寄ったものだ。

決して少ないとは言えない人数での行動ではチームワークと意思疎通が大切だ。

日付が変わり、そろそろ1時になろうかという頃出発の合図。『お互い気をつけて!』みんな顔を見合わせ声を掛け合う。

当初の予定では早朝現地入りし、仕込みをしてお昼に炊き出しを振舞う予定でした。しかし、東北道の通行止めは

予想以上に長く、進んでは止まり、進んでは止まりの繰り返し。結局、石巻入りしたのはお昼近く。この時間になると

地元民と災害復旧の車両で道路も大渋滞。苛立ちの中時間だけが過ぎていく。やっと、現地の拠点となる市場へ到着し

物資を下し終えたのは13:00を回っていた。余談ですが炊き出しを行う際は事前に場所と時間がアナウンスされるそうです。

この頃になると無人の所で無駄足にならないよう情報伝達網が確立されておりました。ちなみに私達の予定は告知されて

おりましたが地震発生のため中止する旨の連絡も既にアナウンス済みとのこと。みな一様に落胆の顔。ろくに寝ないで車を

走らせて来たのに… 食材はどうする? 明日にするか? 既にそんな会話をしていると、現地の仲間が連絡を取りあって

炊き出しGO!の段取りを取り付けたとの事『よっしゃぁ〜っ!行くぞぉ〜!』早速出発。ある者は現地スタッフの車に同乗し

ある者はトラックの荷台に身をもぐらせ、私も自走して来た4tのハンドルを握り現地スタッフの後を追う。

中止を伝えていたせいか実施地点の『渡波駅』には人がいない。とりあえず荷台を開け荷下しをしていると2・3人の主婦が

近寄ってきて『あんたたちここで何かやんの?』といぶかしげに聞く。仲間が『今から炊き出しやるからおばちゃん待っててね』

するとおばちゃんたちいずこへといなくなり、我々は準備に手を戻します。ところが!それから数分と経たずして人がぞろぞろと

集まってくるではありませんか!しかも瞬く間に大勢の人の列!『うわぁ〜。なんだぁ〜っ!どこにいたんだこの人たち???』

私たちは驚きと、感激に顔を見合わせました。が、そんな感傷に浸っていたのは束の間。その列の目が私たちへのプレッシャー

へと変わっていったのです。そりゃぁそーですよ。何も支度してないのですから。これから仕込みをしようと言う時に既に行列が

出来てしまったのですからさぁ大変。『ガス入れろ!』『お湯沸かせ!』『違うよ!この鍋じゃないよ!』怒号が飛び交う即席

厨房のてんてこ舞いをよそに、行列は至って粛々と、そして淡々と伸びて行きます。本当に整然と規律良く待たれていました。

メニューは試行錯誤の末ホットドッグにしました。汁物もボツボツ出始めていたし、おにぎりは飽きてるかもしれないし…

パンなら子どもも喜ぶのでは?と中身を“ハンバーグ”“ウィンナー”“焼きそば”にして、子どもから年配者まで食べれるように

工夫しました。これは裏話ですが、事前打ち合わせでは一人2個までと決めて食材の数を揃えました。会議中スタッフから

こんな質問が『一人2個は良いんだけど、「家で家族が○人待ってます」なんて言う人がいたらどーするの?』みんんで顔を

見合わせます。その結果、性善説に基づき被災者の方の自主申告に応える事!と取り決めをしました。案の定『家で待つ

家族の分も』と言う方は大勢いらっしゃいました。『年寄りが家で動けないんだよw』なんて方もいてホンとに切実な状況でした。

これは笑い話ですが… 『家族の分もお願いします』スタッフが『何人ですか?』と聞くと『ん〜・4人かな?』そのスタッフが後から

『かな?ってなんだ?』と…思ったらしいですが、そこは愛嬌。みんな生きるのに必死なんですよ。あの場所にいるとそういう空気

がヒシヒシと伝わってきました。我々は戦後世代ですから戦争体験はありませんが、戦後ってこんなだったのかな?と少し想像

が出来た感じがしました。しかし、街中に目をやると戦後の方がまだ良かったかもしれない。ゴミや瓦礫やヘドロの山が生活を

困難にしているなら焼け野原の方が良かったかも… と。 何はともあれ順調に作業も進んでいたのですが、途中で不思議な

事に気づきました。それぞれの具は列が別なので1種類もらうと違う列へ並び直します。パンと具はセットなのでそれぞれの具に

パンが付きます。ところが2種類、3種類目の列の人達の中で『パンはいりません。具だけ下さい』と言う方が少なくないのです。

しばらくしてその理由に気が付きました。無くなったパンをどこから補充しているのかみていたら何と!保冷車の中から出している

ではありませんか! 「あちゃ〜っ、パンおいしくなかったんだぁ… 」 先刻ご承知のようにパンは冷蔵すると乾燥しボソボソに

なってしまいます。しかし気が付いたときはもう遅く、昨晩からコッテリ冷やされたパンは今更どうしようもありません。担当スタッフは

『パンも焼いて温めるつもりだったんだよw。だけど仕込みの時間がなくてそのまま出してるんだ…』なる程予定通りには行かない

ものだと、つくづく実感した。そして遂に食材も尽き人もいなくなり無事終了。撤収中何人かの被災者の方からお礼のお言葉を…

誰かのためになんておこがましい事は考えないで行きましたが、声をかけて頂くとやはりやって良かったなぁ…と思います。

その日はみんな疲れた体を休め、翌日は各地へ被災状況の視察に行きました。既にTVで何度も見ている景色ではありました

が、これが現状なんだと実感するのに少し時間がかかりました。見渡す限り瓦礫の山を見ていると、絶対言ってはいけないのだろうが

『復興できないのでは?』とさえ思わされる惨状でした。震災から既に1ヶ月近く経った今尚、電気も水道も復旧しない地域で

自宅待機をしている被災者の方々とお会いしてTVが全てだと思ってはいけないと痛感しました。TVで見る避難所生活を

余儀なくされていらっしゃる方々も当然想像に余りあるご苦労があると思いますが、老いも若きも真っ黒い顔をした人々の

顔は決してTVには写りません。また、塩の匂いとヘドロの混じった匂いもTVでは分かりません。すぐにUPするのがはばかられ

このタイミングとなりましたが現地の様子が少しでも伝われば幸いです。現地の皆様のこれからの益々のご発展を祈っております。

また、被災者でありながら現地で陣頭指揮を執っておられる皆様に現地での段取り心から御礼申し上げます。



各車両に目印の自家製フラッグを貼って行きます



都内各地から集められた貴重な物資。すごい量です




貴重な物資を提供して下さった方々の付託と信頼に
応える責任を負っていざ出発!



石巻の市場で物資を下します!



その後浸水問題でその名が知れ渡った渡波地区。



準備中にあっという間にこの行列。



半ばパニック状態の厨房。




焼いても焼いても追いつかないョ。


かつては住宅街であったであろう被災地。


元がどう言う状態だったか全く想像つかない。


この瓦礫をどの様にして処理するのだろうか…


海はまだ先なのですが…


この車どうやって入ったのかな?


そんな中無傷の勇姿をとどめる我らがヒーロー


他の物はみんな流されてしまったのに…

今や復興のシンボルとなっている。


石巻市はマンガ家の故・石ノ森章太郎先生の故郷。

街のあちこちにキャラクターのオブジェが点在する。

そのキャラクター達同様先生の記念館もこんな海の

ど真中なのに無事にその姿を残していた。

今後の観光資源が復興への大きな期待となっている。

 


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